「ベルク年報(9)1997-2000」日本アルバン・ベルク協会 石田一志:編纂
(新聞への署名原稿は略した)
 
1947年
芭蕉論及び論考(松本中学校文藝部「交友」No89
・芭蕉俳句私鈔覚書
・俳句 きつねのてぶくろ

1951年
「ピカソへのオマージュ」台本(実験工房第1回発表会)

1952年
巴里のアメリカ人-映画音楽(レコード音楽6月号)
シェーンベルクと我々(実験工房プログラム6月)
 
1953年
作品A(テープレコーダーのための詩)
作品B「囚われた女」(テープレコーダーのための詩)(実験工房第5回発表会)
シュナイダー、エタ・ハーリッヒ著「現代アメリカ音楽の最近の動向」秋山訳(フィルハーモニー12月号)

1954年
ラジオドラマ「浄夜」-シェーンベルク作曲「浄夜」に據る幻想(新日本放送台本)
ストラヴィンスキーの「音楽の詩学」(音楽芸術10月号)
 
1955年
「ミヨーの肖像」解説(シンフォーニー第11号)

 
1956年
「月に憑かれたピエロ」訳詩ノート(美術批評1月号)
映画音楽における実験(美術批評1月号)
画家のかく音楽・作曲家のかく絵画(美術批評2月号)
新作探偵バレエ「部屋」とビュッフェのバレエ装置(美術批評4月号)
カールハインツ・シュトックハウゼン-20.5世紀の音楽家(音楽芸術4月号)
ミュージック・コンクレートの最近の動向(美術批評5月号)
三人の会論(現代の日本音楽)(音楽芸術9月号)
 
1957年
ジャズ、この非合理な魅力-サルトルからジョン・ケージへ(音楽芸術10月号)
座談会「現代音楽におけるオリエントの問題~ジョリヴェの交響曲を中心に」
(シンフォーニー第25号)

1958年
「城の眼」ポエム・オブジェ展(新橋ヒロシ画廊)
LPジャケットのデザインと音楽の結びつき(対談:岡鹿之助)(美術手帳2月号)
現代ベルギー作曲界の展望(シンフォニー3月第31号)
映画音楽の最近の動向(音楽芸術3月号)
バルトークへの評価(フィルハーモニー5月号)
座談会「現代ソヴェト音楽の課題」(シンフォーニー5月号第33号、10月第35号)
タブロー・ノワール「黒い絵画」(詩/音楽:武満徹)(NHK放送・音楽のおくりもの台本7月29日放送)
シェーンベルクと表現主義-音楽と美術の出遭い(美術手帳11月号)

1960年
ストラヴィンスキー論(キング・レコード「三大バレエ」解説)
音と形のあたらしい展望 1 (対談:山口勝弘)(美術手帳5月号)
音と形のあたらしい展望 2 (対談:山口勝弘)(美術手帳6月号) 
連載 20世紀美術のイズムと現代音楽の冒険
1「未来派」(美術手帳7月号)
2「DADA」(美術手帳8月号)
3「シュルレアリスム」(美術手帳9月号)
4「バウハウス」(美術手帳11月号)
5「抽象」(美術手帳11月号)
6「総合」(美術手帳12月号)
座談会「ジャズについて」(現代芸術11月号)雑誌等書誌

1961年
座談会「偶然性の音楽をめぐって」(音楽芸術6月号)
イアニス・クセナキス(音楽芸術6月号)
 
1962年
Jhon Cageあるいは0の時間 1(音楽芸術12月号)
 
1963年
Jhon Cageあるいは0の時間 2(音楽芸術1月号)
一柳慧(音楽芸術1月号)
石の音楽(芸術新潮5月号)
小沢征爾(ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団プログラム解説11月)
 
1964年
淡々とした素直な狂気 ロフトの芸術家たち(美術手帳11月号)
 
1965年
座談会「音楽批評は確立しているか」(音楽芸術4月号)
デザインする音楽 生活空間と音楽(SD7月号)
映画音楽に創造的な批評を(音楽芸術12月号)
 
1966年
座談会「前衛美術は今日に生き得るか」(映画評論5月号)
ハンス・リヒター-あるいは動きのオーケストレーション(みずえ6月号)
新しい音の”設計図”を-「氷点」の池野成を中心に(映画評論7月号)
園田高弘-あるいは音楽の美食家の倫理(音楽芸術8月号)
「聴く」「観る」への通低器-ゴダールと武満徹(映画評論9月号)
"耳の感情”による犯罪-「白昼の通り魔」「他人の顔」(映画評論10月号)
デザインする音楽(デザイン批評11月号)
ジョン・ケージの波紋以後 日本の作曲界の精神の状況(音楽芸術12月号)
 
1967年
デザインする音楽(デザイン批評1月号)
ケルン-尖鋭な実験芸術の実験場(美術手帖7月号)
トップレス・チェロ演奏会事件-あるいは音楽板(悪徳の栄え)への仮説(美術手帖12月号)
環境からXへ-「空間から環境へ」展から1年(討議)(美術手帖12月臨時増刊号)
クレーと音楽-あるいは<コロムブスの魚>の秘法(画集「世界の巨匠シリーズ/クレー」月報)
 
1968年
音の空間への果敢な挑戦(展望3月号)
高松次郎-家具による不在性への検証(美術手帖4月号)
"臆病な巨人“化への挑戦(展望5月号)
萩元晴彦インタヴュー-映画的手法から脱却せよ(展望5月号)
ウォーホルの「インデックス」(芸術新潮8月号)
ハプニングの歴史と世界のハバナーたち(美術手帖8月号)
騒音の思想の先駆者ルイジ・ルッソロ(音楽芸術9月号)
電子音楽からコンピュータ音楽へ(美術手帖9月号)
日本の現代音楽をきこう(美術手帖11月号)
電子音楽でさぐる音の可能性(展望12月号)
時間と空間を越えて(高橋悠治へのインタビュー)(同上)
 
1969年
ビートルズと現代音楽(美術手帖2月号)
ピエール・シェフェール-(音のオブジェ)の思想(音楽芸術)
異端の作曲家エリック・サティ-俗なるものの形而上学の音楽(音楽芸術4月号)
サイバネティック・ミュージック(美術手帖5月号)
芸術とテクノロジー(ディスカッション)(美術手帖5月臨時増刊号)
アラン・カプロー(美術手帖7月号)
クシャミするやぶにらみのバッハ論(美術手帖8月号)
イアニス・クセナキス-数学的論理学の思想(美術手帖9月号)
デザイナーが創造したLP(美術手帖10月号)
”化けものの楽器”の登場(美術手帖12月号)
「ハプニング」の項解説(チハーコヴァーと共同執筆)(美術手帖12月臨時増刊「美術手帖小事典」
 
1970年
実演がレコードに近づくべきだ(美術手帖2月号)
日本万国博は”音楽”によってモントリオール博を超えるだろう?(音楽芸術2月号)
コラージュあるいはアッセンブリッジの音楽(美術手帖4月号)
ピアノの変換(美術手帖6月号)
万国博の音楽を記録化する(美術手帖8月号)
邦楽器を過去の記憶に閉じ込めることからの脱出(音楽芸術8月号)
時代の新しい論理としてのロック(美術手帖10月号)
メタミュージックと政治(クセナキス)(美術手帖11月号)
芸術とテクノロジー(音楽芸術12月号)
ジョン・ケージと‥‥行為の哲学(美術手帖12月号)
 
1970年~73年
連載「伝統の冒険」(草月1970-73)
(1)雅楽の変質(メタモルフォーズ)
(2)流行歌と過去の呪縛からの脱出
(3)自然との劇的な時間=空間論
(4)風と息の力動学 あるいは日本の音の構造の秘密
(5)梵鐘の呪力の美学
(6)声明の秘法 仏教音楽の源流
(7)銅鐸に秘められた謎Ⅰ、想像力をかきたてられる不思議な物体
(8)銅鐸に秘められた謎Ⅱ、古代社会の変貌と共に消えた楽器
(9)かがいとロックまたは音の呪縛と遊びの思想
(10)「聴く」ことの意味するもの、あるいはロックと孔子の音楽論
(11)音とことばと伝書と
(12)能における曖昧さの美学、甍に秘められた音楽構造の秘密
(13)日本の庭園の思考
(14)環境の芸術化
最終回 沈黙の声を聞く
 
1971年
現代音楽のLPジャケット(美術手帖1月号)
チャーリー・ブラウンとシュトックハウゼン(美術手帖1月号)
最近の日本の作曲家のLP(美術手帖3月号)
CROSSTALK & WANDELKONZERT-二つの現代音楽コンサート(美術手帖4月号)
新しい波長の生活化(美術手帖5月号)
座談会「作曲界の1970年の回顧」(音楽芸術7月臨時増刊号)
高橋悠治のピアノの世界(美術手帖8月号)
レコードとは音の記録だ(美術手帖10月号)
雲愛嘔インタビュー(みずゑ10月号)
現代曲LPへの風通しのいい小窓は‥‥(美術手帖12月号)
座談会「ビートルズその後」(朝妻一郎、本崎義二、秋山)(主婦と生活社刊「ビートルズ
 
1971年~73年
連載 日本の作曲家たち(レコード芸術)
 
1971年
黛敏郎論へのノート 梵鐘の引導をわたす作曲家について(創1月号)
 
1972年~78年
連載 日本映画音楽史を形作る人々(キネマ旬報:全63回)
 
1973年
小杉武久-キャッチ・ウェーヴの思想-あるいは「タージ・マハル旅行団」との”旅”の音楽(美術手帖6月号)
アクションを主役とする音楽劇のアイロニー-マウリチオ・カーゲルの演奏(海3月号)
武満徹 映画音楽(怪談)を中心に(キネマ旬報5月15日号)
石井真木論-新しい形式を求めて(対談:石井真木)(音楽芸術5月号)
N響長谷発言問題への発言(対談)(音楽芸術12月号)
 
1974年
現代作曲家論 高橋悠治年譜・主用作品リスト(編)(音楽芸術5月号)
民族の悲劇を越えて-尹伊桑氏に聞く(朝日ジャーナル9月13日号)
瀧口修造氏と実験工房のこと(現代音楽手帖10月号臨時増刊号)
ハリー・バーチーあるいは楽器造りの錬金術師(音楽芸術12月号)
”Japan"の項執筆(”Dictionary of Contemporary Music"J,Vinton編、E.P,Dutton社、New York)
 
1974年~78年
連載 日本の作曲界の半世紀(音楽芸術1974年1月号~78年12月号:全49回)
 
1975年
ミュージック・メディアUSA '75-美術評論家Tへの手紙(みづゑ4月号)
現代音楽はどうあるべきか-内包する諸問題について(音楽芸術5月号)
現代的状況における個性(シンポジウム)(音楽芸術7月号)
戦後の傑作10(アンケート)(音楽芸術9月号)
サティにおけるユーモアの弁証法-その言葉と音楽の見えない方程式(トランソニック秋季号)
 
1976年
「羅生門」の映画音楽(現代のエスプリ)
パンムジークへ-フェスティバルが示した諸問題-PMF東京’76からの報告(音楽系術4月号)
M,カニングハム・ダンス・カンパニー(市川雅との対談)(音楽芸術6月号)
チャヴェスに出発し、それを越え‥‥現代メキシコ作曲界の現状(エドアルド・マータへのインタヴュー)(音楽芸術7月号)
柴田南雄、その知的な実践活動としての音楽(音楽芸術8月号)
 
1977年
アメリカ作曲界で今何が展開されているか(ロジャー・レイノルズとの対談)1(音楽芸術6月号)同2(音楽芸術7月号)
 
1978年
音楽の中の言葉 サティのかくされた方程式 その謎の周辺(音楽芸術3月号)
音楽の中の言葉・再考 サティをめぐる詩と詩人たち(音楽芸術4月号)
映画音楽の実験 現代音楽史へのひとつの試論 1 (音楽芸術8月号)
同2(音楽芸術9月号)
 
1979年
「パリの秋」芸術祭を席巻した日本の音楽(芸術新潮2月号)
電気-電子音楽史断章~電気楽器テレミンからシンセサイザーまで(隔月刊「遊」2月号「電気+電脳」特集)
開かれた窓としての役割(音楽芸術8月号・今日の音楽7)
新しい邦楽器演奏家たちの誕生(音楽芸術11月号)
座談会「批評家自ら批評を語る」(音楽芸術12月号)
 
1980年
300万人の大学(47)桐朋学園大学(朝日ジャーナル3月7日号)
 
1981年
「聴く」ことのシュルレアリスム(「シュルレアリスムの思想」思潮者)
『健忘症患者の回想録』(音楽の手帖・サティ3月号)
サティ詩抄(音楽の手帖・サティ3月号)
サティ日記抄 SATIRICOLLAGE(音楽の手帖・サティ3月号)
ベルリン芸術祭の日本特集-音楽家と聴衆のすばらしい一体化(季刊邦楽
 
1982年
わたしが選んだ作品とその選出理由(外国映画音楽Best10)(キネマ旬報6月1日号)
音響測定家サティと光測写師マン・レイの出会い(ユリイカ9月号)
 
1983年
対談「ジョン・ケージと日本」+一柳慧(MUSIC TODAY)
社会・環境・政治に目を向ける現代音楽
日本人はなぜアレグロの曲を書けないのか-オーレル・ニコレ vs 日本の作曲家たち-
ディスカッション・コンサート(朝日ジャーナル4月15日号)
電子工学の音響呪術師E.ヴァレーズ-音の空間・マッス・プロジェクション・フォルムの可能性への冒険(音楽芸術8月号)
音楽の状況へのひとつのスケッチ(現代詩手帖9月号)
 
1984年
新たなる音楽的環境の創造へ-デーヴィド・チュートアin東京(音楽芸術4月号)
パンムジークフェスティバル18年の歩みとそのパースペクティブ(音楽芸術7月号)
ベルギー・シュルレアリスム・グループ運動の展開
または音楽をもったもうひとつのシュルレアリスム(夜想11月号)
ヌーベルヴァーグの映画音楽(夜想11月号)
 
1985年
コロンブスの魚-バウハウスのなかの音楽(三田文学8月号)
 
1986年
オリヴィエ・メシアンと20世紀音楽(シンポジウム)(音楽芸術1月号)
日本の作曲界と山田耕筰-<場>への実践と行動の変容-生誕100年記念(音楽芸術2月号)
右と左に見たもの(眼鏡なしで)の思想 またはタダのなかのサティとブルトン(へるめす第7号)
エリック・サティと坂口安吾-または落伍者のファルスの方法(ユリイカ10月号)
煽情する芸術-謳歌と軛(美術手帖12月号)
 
1987年
実験工房による変革と音楽の拡張
ミュージックコンクレート、電子音楽、以後への影響についても(音楽芸術1月号)
 
1988年
革命の芸術・芸術の革命の都市-モスクワとレニングラードの光と影(音楽芸術2月号)
菅原明朗-孤高できびしいもうひとつの日本作曲界・精神史 上(音楽芸術6月号)同下(音楽芸術7月号)
”声”の可能性を追求して(インタヴュー メレディス・モンク)(音楽芸術11月号)
 
1989年
「ルーカス・フォス」(MUSIC TODAY)
芥川也寸志作品論ノート-そのオスティーナートの思想と冒険と変転(音楽芸術4月号)
バレエ<本日休演>の挑発性-ピカビアとサティ(ユリイカ9月号)
 
1990年
AV時代の「生活」と「音楽」-1990年代の音楽の状況へのひとつのスケッチ(音楽芸術5月号)
鐘学的なる建築 ガウディのデザインとリズム(川島織物広報誌「KAWASHIMA」12号5月)
→『ガウディ建築入門』(新潮社・とんぼの本)に改訂収録
もうひとつの二十世紀音楽史・試論(ポリフォーン第6号7月)
 
1991年
「実験工房と瀧口修造」(佐谷画廊・オマージュ瀧口修造展プログラム)
ボウルズと音楽(現代詩手帖4月号)
シンポジウム「境界を越える作曲家-ポール・ボウルズ」(越川芳明・四方田犬彦・秋山)(音楽手帖4月号)
シンポジウム「音楽の可能性について」(ポリフォーン第8号7月)
 
1992年
「今日の音楽」の20年を想う(音楽芸術4月号)
「証言・日本の作曲家とフランス」(松平頼則へのインタヴュー)(ポリフォーン第10号7月)
音楽が環境(エコロジー)であるという思想の実践者-J.ケージ(音楽芸術10月号)
コロンブスの魚-バウハウスにおける眼と耳の実験(ユリイカ11月号 ※1985年三田文学からの転載か?)
D.ミヨー-新精神への同伴者(音楽芸術12月号)
 
1993年
ポール・ボウルズの小説「氷点」を翻訳(ユリイカ3月号)
実験工房という”場”(太陽4月号)
音楽における創造への実践-J.ケージ・メモリアルコンサートをきいて(音楽芸術6月号)
和太鼓の”伝承と創造”への問題提起-奥長良・和太鼓フェス’93郡上八幡(音楽芸術9月号)
 
1994年
J.ケージ-拾得物としての音楽-聴取・引用・思考喚起(対談・近藤譲)(ユリイカ1月号)
政治的な現実と音楽的な現実-ルトスワスキの記念講演「私と人生と音楽」より(音楽芸術2月号)
 
1995年
共生する創造の場へ-20周年を迎えた「Music from Japan」(音楽芸術5月号)
日本の映画音楽の戦後50年(音楽芸術11号)